遠野市内にある鍋倉城跡を国史跡に指定することについて、令和4年12月16日(金)文部科学大臣の諮問機関である文化審議会(会長 佐藤 信)から答申があり、令和5年3月20日の官報告示を経て国史跡に指定されました。市内の国指定史跡は綾織新田遺跡に次いで2件目となります。
【注意】鍋倉城跡は鍋倉公園内にありますが、冬期間は公園へ至る市道は通行止めとなり、展望台及びトイレは閉鎖となりますので、春までは城下からご覧ください。

 鍋倉城跡(東から)
 鍋倉城跡(東から撮影・中央の鍋倉山一帯)

鍋倉城跡主要部(北から)
鍋倉城跡主要部(北から撮影・中央右上に本丸、奥に二の丸、中央左側に三の丸)

指定の概要

1 名称

 鍋倉城跡(なべくらじょうあと)

2 所在地

 遠野市遠野町3地割5番1 外 28 筆等

3 指定面積

 107,902.42 ㎡

4 説明

 鍋倉城は遠野市の市街地南端の標高 344mの 鍋倉山に展開する県内屈指の大規模な 多郭構造の山城です。天正年間(1573~1592 年)に阿曽沼広郷により築かれたと伝わる城郭で、阿曽沼氏が 居城した時代の曲輪土塁、空堀、堀切等の遺構が良好に残されてます。慶長5年(1600 年)に家臣の謀反により阿曽沼氏は遠野を追われ、三戸南部氏の支配下に入り近世盛岡藩の一部として城代が治めることとなります。寛永4年(1627 年)、盛岡藩二代藩主南部利直の命により筆頭家老の南部(八戸)直義が、八戸の根城から遠野に移り、1万2千余石を知行して明治に至りますが、直義の入部以降も曲輪の大規模な改変はなく、中世山城の曲輪が近世期もそのまま利用されました。 本丸の発掘調査では、近世絵図の「鍋倉城本丸屋敷絵図」(安政3年(1857 年)以降の作成)と符合する本丸屋敷と推定される礎石建物が検出されるなど、近世期の遺構も良好に残ります。このように、鍋倉城跡は県内屈指の大規模な中世山城の遺構を良好に残し、近世期も大きく改変せず近世城郭として利用し、戦国期から明治期まで存続した稀有な城郭として史跡指定に値するものです。なお、今回は本丸、二の丸、三の丸を含む城郭主要部について指定されました。

5 指定範囲

鍋倉城縄張図と国史跡指定範囲

国指定史跡鍋倉城跡パンフレットができました

鍋倉城の散策マップ、歴史や発掘調査の概要、アクセス方法などを記載したパンフレットを作成しました。遠野市立博物館等で配布しています。

鍋倉城跡パンフレット1

鍋倉城跡パンフレット2

鍋倉城跡パンフレット3
国指定史跡鍋倉城跡パンフレット [ 3749 KB pdfファイル]

鍋倉城跡国史跡指定記念 特別展 風雲!!鍋倉城 開催

令和5年3月20日、城下町遠野の象徴的な史跡である鍋倉城跡が国の史跡に指定されました。遠野市民にとっては、桜の名所で天守閣風展望台のある公園で市民の憩いの場として長年親しまれてきました。しかし、文化財としては指定されていなかったのです。それが、突然、国指定史跡に!これはタダゴトではありません!!みなさん、鍋倉城ってどんなお城か知っていますか?この指定を機に鍋倉城のスゴさに触れてみませんか。城を造った戦国大名の阿曽沼氏は織田信長と関係があった!?国指定史跡となって風雲急を告げる鍋倉城、さて、どんなお城かとくとご覧あれ!

【会期】   令和5年4月28日(金)~10月1日(日)
【会場】   遠野まちなか・ドキ・土器館(遠野市新町5-3)
【開館時間】 10時~ 16時
【休館日】  月曜日(月曜日が祝日、振替休日の場合は翌日休館)
【入場料】  無料
【主催】   遠野市教育委員会
【イベント】
 「展示解説会」 5月2日10時~ 事前申込不要 展示担当学芸員が展示の見どころをわかりやすく解説
 「れきし習字大合戦」 会期中開催 会場で好きな歴史用語を筆文字で書いて応募、優秀作品には記念品贈呈

特別展風雲鍋倉城チラシ
特別展風雲鍋倉城チラシ [ 14092 KB pdfファイル]